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神に殉ずる覚悟

殉教とは、苦しみや恐怖の先に永遠の喜びと希望を見た行為です。自殺を禁止されている切支丹は、キリスト同様処刑する人達のことを許したまえと祈りながら命を捧げよといわれていました。

しかし、江戸幕府は「死か改宗か」という選択の上での強制改宗を行っていたので、。結果として生まれつきのクリスチャンであるポルトガル人宣教師のクリストファン・フェレイラやジュゼッペ・キアラをはじめ多くのキリスト教徒やキリシタンは棄教してしまいました。キリシタンと発覚すると、穴吊しという過酷な拷問にかけられてしまうためです。

穴吊しとは、穴に汚物を入れ、囚人をなかなか死ねないようにして逆さにつるす拷問です。汚物の匂いと頭に逆流する血のために想像を絶する頭痛が始まり、意識が混濁します。そして穴の上からは、役人たちが「棄教せよ」と優しく諭してくるのです。それを棄教するか死ぬかするまで、何時間も続けるのです。即死しないよう、こめかみを切り、少しずつ血が出るようにしてあるため、終いには逆流した血がこめかみから目から鼻の穴から噴き出してくるのです。大多数の信者はここで棄教してしまいました。

しかし、ペトロ岐部の処刑について記した井上筑後守直筆の所見には、「ペトロ岐部は転び申さず候(最期まで改宗しませんでした)」記してあります。それどころか信じていた同志が棄教しても、穴の中からまだ吊るされている信徒に向かって「信仰を捨ててはならんぞ」と叫んだと記録は述べています。

このまま吊るしても棄教しないと考えた役人たちが、焼けた鉄棒を腹に押しつける残酷な拷問に処されて、腸がほとんど露出したと「平戸オランダ商館日記」が報告しています。しかしそれでも、ペトロカスイ岐部は棄教せず、52年の生涯をキリシタンとして幕を閉じました。