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ペトロカスイ岐部の軌跡 | 殉教

殉教まで

1623年、岐部神父は殉教を覚悟して日本への渡航を希望しましたが、日本は宣教師の入国を厳しく禁じていたため、乗る船がありませんでした。

そのため岐部は日本への足を求めて東南アジア各地をまわりました。そして帰国を決めてから7年後の1630年、ついにマニラから日本に向かう船に乗り込むことに成功。難破しながらも何とか鹿児島に到着しました。日本を出てから16年ぶりの帰国でした。

岐部神父は潜伏し、激しい迫害と摘発を逃れながら、長崎から東北へ向かいつつ、信徒たちを励ましました。しかし1639年、岐部神父はあるキリシタンの家にかくまわれていたところを密告され、逮捕されてしまいました。

岐部神父は激しい拷問を受けても棄教せず、穴吊りのさなかにも隣で吊られていた信徒を励ましていたため、穴から引き出され、1639年7月4日に斬首されて殉教しました。52歳。世界を歩いた日本人の波乱万丈の生涯は幕を閉じました。