ローマ
ペトロカスイ岐部がローマにたどり着いたのは、1620年であったと推定されます。ローマでは、何の身元保証もない東洋の一青年でした。
ペトロ岐部は、ようやくの思いでローマのイエズス会の修練院を訪ねました。非情にも、彼を受け入れないようにとの回状が、すでにマカオから届いていたことなど知る由もありませんでした。
しかしペトロ岐部に会ったイエズス会の長上たちは、彼の司祭叙階に便宜を計りました。その人柄によって特別に受け入れられたのです。そして1620年、33歳で悲願の司祭叙階にこぎつけました。彼はリスボンで「自分の救霊および同胞のそれのために進捗したいという大きな希望を持っている」と自ら身上書に記しました。